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カスタマーレビュー ![]()
カルト映画の花道
(2008-06-15)
80年代に入ると、映画界にあるひとつのジャンルができあがる。熱狂的なファンを持ち、その映画を神話的な存在まで格上げする「カルト映画」というジャンルだ。
70年代のハリウッドが、その映画の脚本から完成までを監督がコントロールする「映画作家の時代」とするなら、80年代のハリウッドはそうした映画作家を追い出し、50年代のきらびやかな「夢工場」へ回帰した時代だと、まず著者は定義する。もちろん、このことへのきっかけには、1980年にマイケル・チミノが思う存分予算を使いつくった『天国の門』が興行的にも批評的にも大失敗し、ユナイテッド・アーティストを倒産させてしまったという有名な事件も大きな要因になっている。映画の全部を監督の作品にこだわる狂気に任せておいたら、どんな映画会社でも簡単に倒産しかねないという大きな教訓をその後のハリウッドに残してしまったわけだ。
町山智浩のこの本は、そうした新保守主義ともいえる80年代のハリウッド映画の陰で、スタジオから締めだされた映画作家8人の異様な「カルト映画」8本を中心に語った本である。どの作家のどの作品も、私にとっては(オリバー・ストーンとダンテを除けば)80年代の映画のある側面を象徴する個人的にも大好きな記念碑的作品ばかりという印象だ。それを今思うとやはりたしかに80年代というのは異様な時代だったかもしれない。著者のこれらの作品を検証・解剖する手際は、監督へのじっさいのインタビューも交え、それはもうみごとである。本全体を貫くその評論のやり方は、著者がジェームズ・キャメロン『ターミネーター』の章でも書いている「優れた映画とは、キャラクターが観客の第一印象のままに終わらず、層を剥ぐように意外な本質を見せていくものだ」(P.90)という言葉に代表されている気がする。まさに各章に目から鱗のさまざまな驚くべき映画的真実が隠されている80年代アメリカ映画への愛情に溢れた好著と言える。ポッドキャスト配信「町山智浩のアメリカ映画特電」とこの本で、私はますます町山ファンになってしまった。
ところで町山智浩のこの本は、上記のような映画を意外とあっさり無視してしまったもうひとつの80年代的映画界の象徴的な出来事、(作家主義にこだわった)季刊「リュミエール」という映画誌への復讐劇と言えなくもない。
「好き」だけ だった映画が、
(2008-05-18)
ほとんどが好きな映画ばかりで、本当にうれしい。
映画論としては作品だけを取り上げて論じていく方法もあろうかと思うが、この本は「映画の見方がわかる本」と題してあるとおり、より幅広に監督にスポットを当てて、圧倒的な情報と論理で解説している。
特に優れていると思ったのは、リドリー・スコット、クローネンバーグ、オリビア・ストーン。ディビット・リンチについては先行の情報がいっぱいあるので、まあこんなものかと、、、私には著者のほとんどの意見に首肯できました。(圧倒的に論理的だからなあ、感覚的に違うというところはもちろんありましたけど)
取り上げられている映画は
クローネンバーグのビデオドローム
ジョー・ダンテのグレムリン
キャメロンのターミネーター
テリー・ギリアムの未来世紀ブラジル
オリビア・ストーンのプラトーン
デヴィット・リンチのブルーベルベット
ポール・ヴァーホーヴェンのロボコップ
リドリー・スコットのブレードランナー
80年代のアメリカ映画、カルトムービー編 という副題は、、、、カルトだとあんまり認識していなかった私にはそれがちょっとショック。
だからこれは映画史の本なんだってば…
(2007-01-09)
シリーズ前作と同様、著者は本書でも「はじめに」で、率直に執筆意図を明かしています。私など、まったく申告通りの本だなァと思うのですが、あんまりアカラサマなんで、多くの人は気に留めないで通り過ぎてしまう様子です。
前作では60年代末に登場した「ニューシネマ」の諸作品がハリウッドの旧体制に風穴を開ける場面から、『ロッキー』(76)により再びその穴が閉じられ、ファンタジーに回帰するまでの歴史が辿られました。本書ではその後の80年代、コングロマリットの傘下に取り込まれたハリウッドで、映画がマーケティングに基づいて背広族が企画する単なる「製品」になってしまった時代が対象です。
ただし取り上げられるのは、そうした時代における「映画作家」、つまりアウトサイダーたちです。だから「カルト・ムービー篇」なんですね。
ただし、確かに80年代の「映画作家」は70年代とは異なります。70年代の監督たちが旧体制に対する批判者、反抗者として自己を確立していったのに対し、本書に登場する「映画作家」たちはもっとずっと自分自身に忠実です。小難しく言うと、否定から肯定に転じている。モダンからポストモダンに移行したワケですね。
タイトルから明白なように、本書では『ブレードランナー』は格別の扱いを受けています。私なりの解釈ですが、それは本書で取り上げられた他の作品群が「無意識的に」ポストモダンであるのに比して、『ブレードランナー』がポストモダンを表象しようとしているから、ではないでしょうか?
次回作は「ブロックバスター篇」だそうです。期待してます。
本当はマッチョではないでしょう
(2006-12-16)
「2001年宇宙の旅」から始まる映画解説である。
「趣味を仕事にしてお金をもらっている」ことに対する後ろめたさから、言い訳めいた記述がされているのがとても気になる。いうなれば「俺はもとはといえばただの映画オタクなんだけど、みんなより知識があるから、損をさせないようにちゃんと説明するよ。決してボっているわけじゃないんだ」。
本を出すほどの映画ライターになったのであれば、そんな言い訳などせずに自分の言いたいことだけを言えばよい。損をしたかどうかは、読者が判断すればよい。むやみと「いかさまじゃないですよ」のごとき言い訳があるほうが、よっぽどいかさまらしくなる。
ところで、町山氏が理解を極めた(とする)映画「2001年宇宙の旅」は、このような長文の解説がないとその全貌がわからないという、難解な映画であったわけだ。
町山のしていることというのは、「難解な映画がある」→「映画に詳しい俺が分析する」→「俺の解説を読むことによって、そんなに映画を極めていない一般人も理解ができる」→「よかったよかった」という構図になる。リンチ映画などもそうだが、私はこの構図にはうさんくささを禁じえない。それでは、解説がセットになった一連の商品戦略になってしまう。
おそらく、町山もこれに気がついているはずだ。だから、よりいっそう後ろめたくなる。「映画に詳しいというだけで商売しているうえに、難解な映画におんぶしてさらに商売している自分」というものに対して。
また、暴力的な描写に対してやたらな寛容さを見せるところとか、「こういう感覚は男でないとわからないよね」「俺って男らしいだろ」というようなノリの文章を見るにつけ、「あ、逆なんですね」と思わざるを得ない。
もう一度見たくなる。
(2006-06-13)
映画雑誌「映画秘宝」の人気コーナーをまとめて書籍化した本で、そのさい雑誌掲載時の砕けた感じは無くなり、一般向けにリライトされています。
私としては雑誌掲載時の文章が好きなのですが、まとめて一つのテーマでまとまった書籍版は雑誌掲載時とは違った意味合いを持っていて、これはこれでアリかと。
とにかく読めばその映画を見たくなる。はるか昔に見たっきりなら再確認したくなり、見たことが無い映画ならすぐにレンタル屋にいきたくなる。
そんな映画解説本です。
スクリーンの前にすわって網膜を開けっ放しにしていれば映画を見ることはできますが、”わかる”ということは一生無い。
映画を見るのにも技能が必要で、その技術解説書ともいえます。
ただし、この本では”映画がわかる=偉い”などという気取りは一切無く、”わかって欲しい、この映画はこう見るとおもしろいんだ!”という願いでできています。
重要なのは作家性、しかしこの本のなかで”作家性=監督の生き様”であり、監督の人生を語ることでその映画を解説する。監督自身のドラマを読むことで、映画を読み解くことができるのです。

